ひとりごと
越中富山の売薬
富山空港内の売店で、パッケ−ジに懐かしい熊の絵が描かれている
富山の売薬を見つけた
。。
私の生まれ育った東京の白金は、今はマンションが建ち並ぶ町だが、
昔は都電が走り、線路を挟んでいろいろな商店があった。
八百屋、魚屋、肉屋、花屋、本屋、靴屋、時計屋、材木屋、夏は氷屋、
冬は炭屋になる店、棺桶を作る店まであった。
そのころ富山から柳行李を背負って、年に2回、薬を売りにくる人がいた。
玄関に大きな柳行李をドッサと置き、中からいろいろな薬を出して、
我が家に置いてある薬箱から使用した薬を補充し、使った分だけ代金を
受け取っていた。
小さな私は、おまけの紙風船を貰うのを楽しみに、その場にじっとしていた
事を思い出す。
パッケ−ジに熊の絵が描かれた熊贍園(ゆうたんえん)は、昔は熊の胆が
原料の中心だったが、入手難、価格が高騰するため、約70年前から
牛の胆に替えているとの事。